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  • Writer's pictureYuko Igarashi (五十嵐夕子)

私の妊娠・出産体験①『アメリカで妊娠・出産⇔日本で妊娠・出産 どっちが大変!?編』

過去も現在も未来も一瞬にして繋がる… 

まるでマトリックスの中に迷い込み、妊娠・出産体験の書き換えが行われてしまったような…✨


…その体験のきっかけは、池川先生と世野尾さんのトークショーのオンライン配信を見ている時に起こりました。


『アメリカで妊娠・出産⇔日本で妊娠・出産 どっちが大変!?』


私は2度の妊娠・出産を体験しました。

そしてその2度の体験は全く異なるものでした…


最初の妊娠・出産は21歳。当時前夫がアメリカ軍人だったので長男をカリフォルニア州サンディエゴにあるバルボア海軍病院で息子を出産しました。この出産体験は悲惨でした…

陣痛の兆候が出産予定日の前日から始まり、夜中に痛みに耐えられず病院へ直行しました。しかしお産はまだまだと言われ、仕方がなく家に帰されましたが結局2日連続で夜中に病院へ行く羽目に。病院に到着する頃には身体は痛みでブルブルと震え、過呼吸に。若気の至りですよね、全く妊娠出産に関しては無知だった私は周囲のママ達の声に耳を傾け無痛分娩を希望しました。


希望通りに麻酔を受けたのですが、何故が待っても待っても全く効かない事を伝えると、もう一度麻酔を受けることになりました。陣痛が来ている事をモニターで眺めながら、呑気に出産の瞬間を待っていましたが、まさかこれが悪夢の始まりだったとは予測できませんでした…


その当時、無痛分娩ってアメリカでは当たり前、息子が生まれると知って病院には退院前の割礼もお願いしてしまいました。


1994年3月9日の午前中、サンフランシスコに住んでいる前夫の母と祖母は出産が近い事を知りすぐに駆け付けてきました。そして前夫は私の希望も聞かずに義母と義祖母を出産に立ち会わせたいと医療スタッフに問い合わせました。


麻酔がよ~~~~く効いてしまった私は、出産の際には腹部から下は全く感覚が無くなってしまいました。最後には酸素マスクまで付けられながらの無痛分娩。助産師さん2人が足を持ち上げながらの出産に…


出血量が多い、そして胎児の頭に付けられたモニターから心拍数が上がって危ないと医師が言うと、突然研修員と見受けられる15人から20人のスタッフが分娩室に入室。義母と義祖母が部屋にいるだけでもストレスを滅茶苦茶感じていたのにも関わらず、そこに研修生が壁にずらっと…まるで見世物の様でした。その時の私の心の叫びは、


「お願いだから出てこないで~~~~~~ (>_<)!!!!」

もう出産なんて取りやめて息子をお腹に戻してしまいたい一心でした。

しかしモニターから聞こえる心拍数はどんどんと高まり、ドクターは一刻も早く息子をとりあげてあげないと命が危ないと…そこで吸引分娩をすることになりましたが、失敗。次は鉗子分娩。やっと生まれてきた息子は小さな産声も上げず、真っ青で弱々しく、指を握らせてもらった次の瞬間に胎盤からの輸血をする為にNICUに運び込まれました。




その後は息子と私の体調の回復が先決と言われ、分娩室で約8時間待つことに。私は面会さえも許されませんでした。


どうやら息子は出産時に臍の緒が千切れてしまい、出血多量になったとの事。後産の際には胎盤に繋がる臍帯が見つからない為に、助産師さんが腕を入れて探した映像がビデオに残っていたのを見た時のショックと言ったら…( ゚Д゚)


やっと出てきた胎盤にも、臍帯にも、輸血するほどの血液が残っていなかったので点滴に切り替えられたと伝えられました。ご丁寧に割礼まで施し、出産翌日には母子ともに退院しました。私は8時間会えなかったのに、夫と義母、義祖母は面会をするだけでなくミルクまで与えてくれたようでした。出産の数々のショッキングな出来事があり、それを一つずつ書いたらとんでもなく長い文章になりそうです。


そんな出産を乗り越えた息子は2018年3月に24歳になり、モンタナ州で元気に暮らしています。


息子はまだ赤ちゃんの時に、同じ病院で白血病かもしれないと言われたこともあるのですよ… (続く)

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