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  • Writer's pictureYuko Igarashi (五十嵐夕子)

私の妊娠・出産体験②『どこから見ても日本人なアメリカ人の帰国編』

過去も現在も未来も一瞬にして繋がる… 

まるでマトリックスの中に迷い込み、妊娠・出産体験の書き換えが行われてしまったような…✨


…その体験のきっかけは、池川先生と世野尾さんのトークショーのオンライン配信を見ている時に起こりました。


この投稿は、私が2013年の出産に至るまでの経緯が書いてあります


『どこから見ても日本人なアメリカ人の帰国』


19歳で日本を飛び出し、20年に亘るアメリカ滞在について漠然と考えていた2011年。変化は突然やってきました。2011年の東北大震災…神奈川に住む両親と妹や両親の故郷である会津の事を考えていると居ても立っても居られなくなり、既に日本国籍を失った私はシアトル領事館から頂いたアドバイスのお蔭で6月に日本へと帰国することができました。帰国とは言え、私はビザを申請して日本に入国した外国人でした…


実は私、リーマンショックの際に小さな証券会社を解雇され生まれて初めてフルタイムで大学に通い始めました。最初は医療事務の資格を取得するために。

入学したら楽しくなってしまい、4年制大学に編入を決めて自分の将来をゆっくり見つめる作業をしようと思っていました。


そして震災当時、ワシントン州立エバーグリーン大学に編入して1年目だった事もあり、卒業を諦めて日本へ帰ってしまおうかとも思った時期もありました。しかし、ここで普通の大学に通っていたら不可能であろう大学の勉強を、2013年6月卒業まで Individual Learning Contract という制度を使い、日本から独自に研究し、オンラインでレポートを提出、学期末に教授とのSkypeセッションというとてもシンプルであり、とんでもなく過酷な学生生活を送ることを選択しました。


日本に帰国後、9月から再開された大学の研究。それとほぼ同時に結婚!新婚生活は…研究の為にほぼ家に籠りきり。私は日本の社会からかけ離れていました。オーストラリアで15年生活していた夫とアメリカ生活20年の私達夫婦。インターナショナルと言えば聞こえはいいけれど、実際は日本に馴染めない外国人が二人同居していると言ってもいい位。そして私は日々英語ばかり使っている為に夫婦での会話は英語。日本に住んでいるという感覚がほぼ欠けていました。


その頃の私の研究は、社会起業家になるためにどういった活動を卒業と同時に開始しようかということに焦点を絞っていました。そうです…これがClearMindで展開する胎内記憶グローバルプロジェクトの原点なのです。


卒業後に日本の社会へ進出!と思ったのもつかの間…2013年9月、卒業後に待っていたのは妊娠生活でした。(続く)

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