みなさんは浦島太郎のお話知ってますよね。
ついこの間、『御伽草子』に書かれている原作の物語を知って唖然としました。
(ちなみに『御伽草子』は鎌倉時代から江戸時代に書かれたそうです。)
こちらはホンシェルジュさんの「浦島太郎にはその後があった!原作の物語と玉手箱の謎、学べる教訓を考察」のサイトからの引用させて頂きました…
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…女性は浦島太郎に夫婦になろうと言います。
太郎はそのまま竜宮城で3年の時を過ごしました。
ある時浦島太郎は、
残してきた両親のことが心配だとして、
帰りたい意志を告げます。
女性はそれを承諾し、
自分があの時助けてもらった亀の化身だと明かしました。
そして、絶対に開けてはならないと伝えたうえで、
「かたみの筥(はこ)」を手渡します。
浦島太郎が地上に戻り、
出会った老人に両親の居場所を尋ねますが、
なんと700年も昔の人で、
近くにお墓があると言われてしまいました。
浦島太郎が竜宮城で3年を過ごしているうちに、
地上では700年の歳月が過ぎていたのです。
絶望した浦島太郎がかたみの筥を開けると、
紫の雲が立ちのぼり、
太郎は老人の姿になってしまいました。
さらにその後は鶴となり、
「蓬莱山」という仙人が住むといわれている理想郷へ飛び立ちます。
同じ頃、竜宮城の女性も亀へと姿を変え、蓬莱山へと向かうのでした。
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この浦島太郎のお話といい…
最古のSF『竹取物語』のかぐや姫が
3か月で成人してしまったという話といい…
やっぱり日本って
見えない世界と
見える世界を繋ぐ役割
あるよね。
首里城の火災をニュースで見た時は、
かなりショックでした。
「ノートルダムの次は首里城!?え!世界遺産放火犯がいるの!?」
と一瞬思ってしまいました。
これは私の本当に予測でしかありませんが、
なんとなく…
今まで日本で亡くなっていった存在、
特に「敗者の歴史」に着目する必要
があるように思えます。
私の名前、「五十嵐姓」の発祥の地は、
新潟県三条市下田の五十嵐川源流に鎮座する五十嵐神社といわれています。 ここからは家系図作成新潟さんのサイトから引用させて頂きました。
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日本の大部分を統一した大和朝廷は、
垂仁天皇の第8皇子の五十日帯日子命(いかたらしひこのみこと)を
越の国の開拓に任命しました。
皇子は頸城地方、上田郷そして下田郷と開拓を行い、
治水や農耕の技術を教え、稲作を広めるという功績を残し、
この下田郷で生涯を閉じました。
五十日帯日子命の子孫が五十嵐という姓を名乗ったと云われています。
千数百年も繁栄した五十嵐宗家も、
戦国時代に上杉家の跡目争い「御館の乱」で景虎側に付き没落しました。
この後、五十嵐と名乗れなくなる時代が続くことで、
農民になる者、商人・海運業・他の家に仕官する者と散り尻となりました。
この時代の影響で発祥の地であるにも関わらず、
この地には五十嵐姓は極端に少ないそうです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私の父方の家系図から、
元々は新潟県に住んでいたある男性が会津へと移住したという事が判明し、
その時代は名君・保科正之と新田開発の為に
会津北部農業水利事業 の際に新潟から会津へと移ったらしいのです。
こちらは会津北部農業水利事業さんからの引用です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 江戸時代の1643年、
会津盆地は、親藩大名の保科正之(ほしなまさゆき)が治めるところとなります。
保科正之は、三代将軍・徳川家光の腹違いの兄弟であり、
また家光から絶大な信頼を受け、
幕政にも深く関わったほどの人物です。
江戸時代に入っても会津盆地の地位は確固としたものでした。
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…ここで余談なのですが、
一国一城であるはずなのですが
会津には鶴ヶ城と亀ヶ城という2つのお城があったそうです。 私の両親は、鎌倉時代初期に猪苗代に建立されていた
猪苗代城(亀ヶ城)との繋がりがあります。 父方の一族は、五十嵐という武士だったと聞いています。 五十嵐の語源は、アイヌ語の『インカルウシぺ』=美しい渓流の続く絶壁 という意味のようです。 ちなみに… 「五十嵐」という名前は、
豊作をもたらす「五風十雨」を意味するらしく
この五十嵐一族の中から、
土田堰 の事業に関わった人物が私の祖先でした。
土田堰 は、約300年前に35万人の人が檜原川(現在の長瀬川)から
12キロメートルほどの水路を作り、 摺上原の荒れ地を開き
200万石の水田を作るという開墾事業だったらしく、
その当時ご先祖様は新潟から会津の地、
亀が城へ仕える為に移住した事を知りました。 そして随分前からお世話になっていた 猪苗代四季の里で
2年前のお盆に父の脳梗塞からの快気祝いをするために
家族・親戚一同で宿泊した場所の
隣にある
土津神社の奥之院
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー …母方の祖父はこの亀ヶ城のお姫様の血を引く娘さんと結婚をし、
子供2人を残し若い頃に病死した為に私の祖母が嫁入りしたと聞いています。
ヒカルランドさんから出版されたばかりの
「タマシイはひたすらびっくり体験と
わくわくアイデアだけを求めてあなたにやって来た!」
をワクワクしながら読み、
CHC16スピニングプレートを体験しました。(☝の2つ目のリンクをご覧下さい)
1時半過ぎに眠くなったのでスピニングプレートを布団の周りに並べて目をつぶると…
ひたすら涙が流れてくるのです。
止めどなく流れてくる熱い涙…
何が何だか分からないまま
不思議な感覚に身を任せていると
この想いが会津藩9代目松平容保の悲嘆と無念さだと気付きました。
150年前の1868年1月に明治新政府は樹立されましたが、
同年9月20日に明治天皇は京都御所を発し、
10月13日に江戸城(現在の皇居)へと移られたそうです。
あれから150年。
本当に日本は
この維新によって
幸せな社会を築けたのでしょうか?
宇宙のエネルギーは
去年の冬至から
とんでもない位のシフトが起こり、
秋分がターニングポイントになって
身の回りの人間関係や仕事などに
大きな変化を感じている方も多いと思います。
今年から2020年までが
とても重要な年になると同時に、
ここから30年という時間の流れの中で
フォーカスが個人から社会へと向かっていき
意識の変革によって
社会が変化する時期です。
この変革についていく為にも
自分のコアと繋がって
自分自身を信じて生きていくことで
スムーズな流れが生まれると思います。
私は日本の「敗者の歴史」に注目しなさいと
宇宙のエネルギーから教えられていましたが、
やっとその意味が分かってきたように感じます。
あなたはどうですか?
家族との繋がりや、
土地の持つエネルギーを味方につけて
新しい自分の人生を歩んでみませんか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー そして今朝、古代史研究会へ投稿された
Hiroko Imanoさんの投稿を友人が紹介してくれ、
その内容は魂にとても響きました♬ 竜宮城の乙姫様は『亀』へと姿を変え、蓬莱山へと向かった… 亀ヶ城に所以のある両親と 会津磐梯山って…1888年に噴火する以前は、 日本一高い山だったという言い伝えもあります。 (こんな詳しい論文もありますよ!) もしかしたら蓬莱山って磐梯山だったかもしれないと そんな想像をする私でした。 裏の裏の話… きっと表には出てこないよね。 でも、いいんだ。 私のブループリントに描かれた生き生きとした 私の遺伝子の歴史であれば それでいいんだもの♬ ん~~~~ なんてドラマチックな人生と両親を選んできたのかしら✨ 胎内記憶ってサイコーにエキサイティング! だって
あなた自身が「ドラマ」の主人公として どんな人生を送っているかを 肉体の枠をかる~く超えちゃって知ることが出来ます。 来週の胎内記憶グローバルプロジェクトの発表をお楽しみに~✨
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