
こんにちは
社会に優しいインパクトを届けたい、未来志向の通訳者
国際コーディネーター/翻訳・通訳者/社会起業家
五十嵐夕子
アメリカ・ワシントン州立エバーグリーン大学で、教育・アート・文化、そして「意識」について学びました。
異なる文化や価値観が響き合う場に、ずっと心惹かれてきました。
日本育ちですが、国籍はアメリカ。日本と世界のあいだに「感性と言葉の橋をかけること」を、ライフワークとしています。
APPPAH(米国出生前・周産期心理学協会)認定講師として、胎内記憶に関する発信を行うほか、国際NGO「Prenatal Alliance」日本代表、「Birthing The New Humanity」創立メンバーとしても活動中。
また一般社団法人 日本胎内記憶教育協会では、国際コーディネートを担当。
池川明博士とともに、胎内記憶をめぐる国際的な橋渡しに取り組んでいます。
現在は、医療・教育・ケアの現場で活動する日本の専門家が、その想いや願いを世界へ届けられるように、翻訳・通訳を超えた国際コンサルティングを提供。
発信の戦略設計や、言葉の チューニング まで、想いに寄り添うサポートを行っています。
一人ひとりの内にある「伝えたい気持ち」には、きっと社会を少しずつ変えていく力がある。私はそう信じています。その想いを、ことばの奥にある願いや物語ごと、やさしく、ていねいに未来へと手渡していきたい。
あなたとともに、その旅路をご一緒できたら嬉しいです。
ストーリー
ことばの向こうにある、いのちの声を聴くために
「ことば」は、いのちといのちを結ぶ架け橋。
幼い頃から、まるで音楽を聴くように、言葉にならない想いの余韻に耳を澄ませて生きてきました。
京都・宇治で生まれ、神奈川で育ち、若き日に私は日本の海上自衛隊に入隊します。
けれどある日、理不尽な出来事が心に影を落とし、「命令」と「責任」の狭間で深く傷つき、自らその道を離れました。
その後、アメリカに渡り、米軍人との結婚、韓国での暮らし──
板門店で北朝鮮に足を踏み入れた日、私は 国境 というものの存在を肌で感じ、
いつも心の奥で「平和とは何か」と問い続けていました。
そして──
真珠湾攻撃から62年後の12月、私はハワイでアメリカ市民権の最終手続きを行うことになります。
滞在中、私はアリゾナ記念館を訪れました。
水底に沈んだ戦艦アリゾナ号から、今もなお流れ出る黒い重油──
それは、消えることのない戦士たちの涙のようでした。
油膜が水面に浮かび、虹色の波紋を描いて広がっていくその光景は、
美しくも切なく、私の心に深い問いを投げかけてきました。
私は誰なのだろう?
空から爆撃を仕掛けた者なのか。沈黙の海に眠る者なのか。
日本とアメリカ──どちらの側にも属しきれず、それでもどちらにも深く心を重ねながら、
私はその あいだ に、ただ静かに立ち尽くしていました。
アメリカ市民になるための宣誓式典では、
心の奥に重みを抱えながら、小さな声で誓いの言葉を口にしました。
けれど、その揺れ動く時間こそが、
「どちらにも属さず、どちらにも深くつながる」──
そんな、私らしい在り方の根を育ててくれたのだと、今は思っています。
その後、私はワシントン州のエバーグリーン州立大学へ。
ここは、自らの問いに耳を澄まし、感性を軸に学びの道筋を描く、自由な学びの場 でした。
Individual Learning Contract(個別学習契約)という形式で、
教授と一対一で対話を重ねながら、教育・アート・日本文化、そして意識の本質について探究していきました。
誰かの正解ではなく、自分の 内なる声 を学びの中心に据えるこのスタイルは、
「言葉の背景を聴く」という、今の私の原点となっています。
そして、やがて出会ったのが「胎内記憶」という世界。
子どもたちが語る、いのちの始まりの記憶。
その小さな声に耳を澄ませるたびに、私は確信しました──
この世界には、まだことばになる前の真実がある。
そしてそれは、世界をやさしく変えていく力を秘めている、と。
今、私は翻訳・通訳者として、そして国際コーディネーターとして、
医療・教育・ケアといった「人の心に深く関わる分野」で、日本と世界をつなぐお手伝いをしています。
ことばを訳すのではなく、
その奥にある祈り、願い、物語ごと、そっと手渡すように。
ときには、沈黙の余白にさえ寄り添いながら──
一人ひとりの「ほんとうに伝えたかったこと」を、
未来へと、世界へと、やさしく届けていく。
それが、私の仕事であり、祈りであり、人生そのものです。